インドのマザーテレサハウスのボランティア経験④

・ボランティア活動を経て、感じたこと

初めは流れも分からず、あたふたしていましたが 
 
日本を始め、各国のボランティア活動を共にした皆さんに色々と教えてもらい、
数日でやるべき業務については、把握することができました。
  
 
1番難しかったことは、
「患者さんとのコミュニケーション」でした。
 
 
英語もお互いに話す中で、多少は通じますが
 
患者さんの中では耳が聞こえずらかったり、
声に出せなかったり、
寝たきりの状態の方もいらっしゃいました。
 
 
私は結構、頭で考えすぎてしまうタイプなので
 
「何を話したらいいのかな」
「患者さんが求めていることってどういったことなのかな」
 
と動けずにいた自分もいました。
 
 
そして、ボランティアの皆さんの中には、
看護師さんもいました。
 
 
その方々は上手く患者さんとコミュニケーションがとれていて
患者さんも笑顔になったり、
これといって会話はしていないようにみえても、
意思疎通ができている。
 
 
さずがだなと、敵わないなと初めは怯んでしまいました。
 
 
でもその光景をみていて、思ったことがありました。
 
 
それは
 
「頭で動くのではなく、心で通じにいくということ」
 
 
その患者さん1人1人の表情、目や動きを見ていると感じることがあります。
 
 
例えば
・キョロキョロしている患者さん。
・うつむいている患者さん。
・ボーッと外を向いている患者さん。
・シスターや患者さん仲間と笑顔でいる患者さん。
・いつも1人でいる患者さん。
 
 
自分の心をフラットに、穏やかにいることで、なんとなくですが「自分目線のこうしたらいいかなという行動」にとらわれずに「寄り添う」感覚になったような気がします。
 
 
少し話はそれますが
これは患者さんに対してではなく
日常の人間関係の中で
特に初対面の人との新しい出会いにも通ずることかもしれません。
 
 
例えば、
いつも笑顔で輪の中にいる人に対しては話しかけやすい雰囲気があっても、
 
いつも1人でいたり、うつむき加減の人には、少しひるんでしまうことがあるかもしれません。
 
 
そういったことを気にしている自分がそこにいました。
 
 
でも、その人が何を思ってるかは正直わかりません。
 
 
答えが見つからないことです。
 
 
そして、
「自分目線でその人を決めてしまう」ことは
あってはならないことだと気づきました。
 
 
その人の内面、目の奥に感じていることをなるべく感じられるように
 
苦手意識や好き嫌い、
この人はこういうタイプといったことを勝手に決めつけないで
 
 
「その人に、心で通じにいこうとする」
「その人と寄り添おうとする」
「その時間をその人と共有する」
 
 
そういう思いでいられたら
その姿勢は、自然と自分の行動に表れ
 
それは時に言葉がなくとも
 
手と手を握り合ったり、
もしうずくまっていたり、1人でポツンと外を眺めていたら、そっと手を伸ばし、肩を撫でたり、目を見て微笑む。
 
 
「真っ新な思いでその人との時間を一緒に過ごし、寄り添う」
「手と手が触れ合うこと」
  
すると、お互いの体温とアイコンタクトや全身の雰囲気で、何かの思いは通じるのかなと、
 
 
そのようなことをこの1ヶ月のボランティア活動で体感しました。
  
 
 
・最後に
今の私のドライヘッドスパニストとしてのお仕事にも通ずる貴重な体験ができたことを、
心より嬉しく思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
歳を重ねるにつれ
 
その当時は見えていなかったことも
こうして振り返ると色々な感情が湧き出てきます。
 
 
それは紛れもなく
このドライヘッドスパというお仕事をさせて頂き、
たくさんのお客様とのご縁があるからです。
 
 
まだまだ成長過程の私ですが
この経験で感じたことを胸に、これからも精進して参ります。
  
  
皆様の1日1日の生活が
健やかで穏やかなお身体と気持ちで過ごせますように。
 
 
長らくお付き合いいただきまして
ありがとうございました!
 
 
お身体にお気をつけて、ご自愛ください。

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